雑学・和歌山→記事一覧 投稿した記事が増えてきましたので目次と要約のサイトにリンクしました(2010.4.3)。画像も増えてきましたので、雑学・和歌山 MY ALBUMにリンクしました(2011.2.12)。

2012年08月06日

4歳のこどもがいじめられている



この動画は、いじめをテーマにしていますが、実はそれだけでは無いような気がします。おそらく、どちらも正しいのでしょうね。ただ、何かが欠けているように感じました。

うまく言えないのですが、肌の色が黒いこと、黄色いことは欠点なのだろうか、背が低いことは欠点なんだろうか。それは、やはり、いけないことなのだろうか。誰かに迷惑をかけていることなのだろうか。.....よく分からない。  


Posted by ecell at 16:03Comments(0)大津市いじめ問題

2012年08月04日

屋上の少女

いじめは、日本だけではなく、世界中での問題なんですね。どうしたら、いじめを減らすことができるのか。早期に発見し封じ込めるのか。ずっと考えていますが難しい問題です...

でも、今がチャンスだと思います。賢明な日本人です。きっと、いじめ問題を解決するでしょう。他人事のようで申し訳ないのですが、少しずつ少しずつ良くなっていけばいいナァと思っています。

こんな動画を観ました...



わたしの感想は書きません。
若い人お二人の感想を転記しておきます。

後でいいことが起きるかどうかは判らないので、このCMがいいCMかというと自分には何とも言えない
でも、中高生時代を何とか乗り切れば、その先はまたけっこう判らない、ということは思う


評価の高いコメント
このCM・・・・
前、見ました。
自分も、いじめられてて、自殺を考えたことが多々ありました。
しかし、このCMを見て、最後のほうが楽しい。というので、自殺­することをやめました。
まだ日本の中に、自殺をする人がたくさんいます。
このCMは流したらだめ?になったので、また流してほしいです。
そうすることにより、自殺する人が減ると思います。

  


Posted by ecell at 21:50Comments(0)大津市いじめ問題

2012年08月04日

教育委員長の説明責任

大津市の越直美市長は、3日の定例記者会見で、市教委の姿勢が問題とされて以来、公の場に姿を見せない岡田隆彦・教育委員長について、「常勤ではなく、十分に把握して対応するのは難しいとは思うが、説明責任は果たすべきだ」と述べた。

至極当たり前の話だが、市長にここまで言われたならば、岡田隆彦・教育委員長も何らかのコメントを発するだろう。おそらく、何を言ってもブーイングの嵐だろうが、それは止むを得ない。仮定の話だが、記者会見の席で辞任したことを公表する可能性が大きい。名誉を大事にし功成り遂げ資産もあるひとであろう。それらに比べれば月6~7万円の報酬は惜しくはないと思う。

出来得れば、大津市長が述べたような「教育委員会不要」を、加えて教育委員会の実情を述べていただきたい。大津市の形式上にしても教育界のトップである教育委員長には、やはり説明責任を果たす義務があると思う。  


Posted by ecell at 09:10Comments(0)大津市いじめ問題

2012年08月04日

大津いじめ自殺事件の深層

今徐々に、教育に関するさまざまな意見が出てきつつある。議論のメインは教師の能力や質などの向上に関するものだが、ときどき、「社会のルールを学校にも適用すべき」等、学校を変えていくべきだという意見も出てきている。

当然、先生たちの研修訓練、各種専門家の学校への配置等は必要に応じて実施するべきである。しかし、それだけでは足りないことは明らかである。それだけでは何も変わらない。教育委員会のあり方を含めシステムを変えなければ、基本的には何も変わらないと思う。

今日、石井昌浩さんという方のご意見を読んだ。仰るとおりだと思った。関係する皆さんには、このような議論を経て、より具体的なプラン施策を議論していって欲しいと思った。

 教育評論家・石井昌浩 大津いじめ自殺事件の深層

 いじめ問題が危険水域を超えるに至った背景には2つあると私は思う。
 1つは、学校における教師と子供の師弟関係が崩れ去り、友達関係に変わったことである。善悪を明確にして、ダメなものはダメと言い切る教師の気迫と権威が失われた。

 あと1つは、むき出しの暴力まで教育問題と捉えて学校で抱え込んだことである。その結果、校内の暴力行為が制御不能になり、いじめ自殺を防ぐことができなかったのだ。言うまでもなく学校は治外法権ではない。暴力を伴ういじめは犯罪とみなし、直ちに警察に通報すべきである。いじめ自殺の再発を防ぐために、社会のルールを学校にも適用すべきである。

 そして、親と教師は子供たちに、「卑怯(ひきょう)な振る舞いをするな!弱い者いじめは恥だ!」ということを教え続けなければならない。


いじめる側にも背景やそれなりの事情があるなんていう意見よりも建設的である。いじめや犯罪は根絶できないと言う前提に立って、それに適切に対処するために何をするべきか、という観点から多いに議論をしていただきたい。  


Posted by ecell at 08:51Comments(0)大津市いじめ問題

2012年08月03日

先生と暴力

例えば、授業中、立ち歩き、おしゃべりをする生徒に対して先生は何ができるのだろうか。大声で注意し、腕を引っぱって着席させると人権侵害になり先生が謝罪させられることになる。

授業中マンガを読む生徒などに一度は注意しても、聞かなければ放置するしかない。クソがきどもの勝手し放題。いじめの問題以前に、無法地帯と化した学校にはさまざまな問題が起こっている事実がある。学級崩壊、学校崩壊、先生や生徒の犯罪。

わたしは、先生たちに生徒に体罰を与えても良いなどとは言わない。しかし、先生方が校内の秩序を維持できないのであれば、当然のことだが校内に警察を入れるべきだと思う。あるいは、義務教育であっても退学を命ずる権利を行使できるなど、先生方にもこれらの無法に対抗する手段を与えなければならないと思う。少なくとも、退室命令などの権限を与える必要がある。

先日も、小学生4年生の男子児童が先生にかかってくるという事件があった。もう、大人を舐めきっているとしか言いようが無い事件である。

こういうとき、先生はどうするべきか。手を出してはいけない、ただ殴られるだけ。それが推奨される先生のとるべき正しい態度なのか。何かおかしくないだろうか。学校の問題は、もはやいじめの問題だけではない。  


Posted by ecell at 22:19Comments(0)大津市いじめ問題

2012年08月03日

開かれた学校

学校とそれを取り巻く環境は、ある意味、閉鎖社会の典型である。流行の言葉で言えば、教育ムラである。もう随分昔になるでしょうか、ある学校は、体育の時間に武道、柔道だったか、を教科にしており、それに宗教上の理由から欠席(見学)をしている生徒がいました。

その生徒は、学校から体育の単位が足りないことを理由に留年を命じられます。生徒は、ある宗教に帰依しており、他人を攻撃してはいけないという教えを守るため、体育正課の柔道を欠席し続けたのです。

学校はそれを理由として翌年も留年を命じたので、とうとう生徒は司法に訴え出ます。さて、司法(裁判所)はどう判断したでしょうか。この生徒の言い分を認めます。学校は、この生徒のため柔道以外の体育教科を設定するべきで、教育の多様性、生徒の多様性に対応しなければならないというものでした。

さて、現在の学校のクラスでの出席のとり方はどうでしょうか。男女別のあいうえお順でしょうか。これも何年も前から、ある人が男女区別なくあいうえお順で呼ぶべきではないかと訴え続けています。何故、男性が先で女性が後なのか、と。あなたの学校ではどういう順番で生徒の名前を呼んでいるのでしょうか。

わたしは、ずっと言い続けています。多様であって良い。民主主義は自分の意見と違う異質な考え方を前提にして成り立っている。背の高い人、低い人、面白い人、まじめな人、傷がいを持つ人、そうでない人、さまざまな人がいる。それこそが、世のなかを楽しくしてくれるのだ。みんながロボットのように同じであれば退屈じゃないだろうか。不気味じゃないだろうか。  


Posted by ecell at 09:04Comments(0)大津市いじめ問題

2012年08月03日

学校に行くのが嫌な一人です

あるブログに次のようなコメントがありました。わたしは、そのブログで書かれていたことについて違和感を持ちました。想像力の足りない捉え方だと感じたのです。だから、少女Eのコメントを読み、偽りのない声だと思い、その全文を転載することにしました。

私も学校に行くのが嫌な一人です。

この記事を読んでやっぱり大人は分かってくれないんだと悲しくなりました。
金八先生と言うドラマ?は見たことないけど先生はあてになる存在ではありません。
いじめるのも子供、いじめられるのも子供ってどうして同じに扱うんですか。同じなのにどうして私がいじめられたり悪口を言われたりしなくてはならないんですか?。他人事だから?自分がいじめにあっていないから?

大人って何歳からかわからないけど、大人の人の意見って自分の考えを正当化しようとしているだけでいじめられている人を助けたいとか思ってないような気がします。大人にとっていじめも自分の正当性を表現する単なるネタなのでしょうか。

そこに至る原因を、丁寧に分析して、ひとつひとつ解決って書いていますが原因なんて無いと思います。
私がみんなにいじめられるようになったのは運動会のリレーで遅くて抜かれてからです。クラスが負けてそれからいじめられるようになりました。足が遅いのはいじめられる原因でしょうか。私が早くなればいいんでしょうか?。
私が早くなってもみんなが同じタイムでないとその時遅い人がまたいじめられると思います。みんなが同じなんて有りえないし。

大人同士でどっちが正しいと、いがみ合っているのを見ると、やっぱいじめって無くならないんだといつも感じて大人に相談するのも諦めました。
いじめを根本から無くすなんてどうでもいいんです。
ただ上履きに絵具入れたり、教科書に落書きしたりそんな行為をやめてほしいだけです。内心で私のことをどう思っていようが構いません。まず大人には先生も含めてそれを実現してほしい。
直接的な行為をさせないようにできれば、無視とかしかとはまだ耐えられます。卒業して新しい学校になって人も変われば無くなるかもしれないし。

授業がちゃんと受けられればそれでいいんです。私にも授業を受ける権利あるはずです。
2012-07-28(19:07) : 少女E URL : 編集



わたしは、いじめは悪いことだと思っています。いじめた子供の背後にある、複合的な要因をほったらかしにしたまま、未熟な者に自己責任を強要するのか、という、ブログでのご意見はすり替えだと思います。

いじめたり、他人を傷つけたり、殺したりすることは悪いことです。その行為には要因や理由があるかもしれません。理由があるから許されるのかというとそうではありません。それらは悪いことです。だからしてはいけません。それだけです。

現状を維持しようとする人たちは、世の中の矛盾や犯罪をゼロにしてから、いじめ問題を語れと言います。そんなことを言っていれば何時までたっても変わりません。悪い奴は悪い奴です。そんな奴は世の中にはたくさんいます。もちろん学校にもいます。

学校は聖域ではありません。先生もサラリーマンです。学校は社会の一部なのです。だから、そこには良い奴も悪い奴も気に食わない奴もいます。さまざまです。それは、我々の住む社会と同じです。だから、悪いことをした人には罰(教護施設での教育等)を与えなくてはなりません。それだけのことです。  


Posted by ecell at 00:15Comments(0)大津市いじめ問題

2012年08月02日

ようやくマスコミがまともな意見を

大津市のいじめ問題は、教師個人の問題になりつつある。わたしは、それは本質的な問題ではなく、わが国の教育システムに問題があるのではないかと思っている。

まず、その一は教育委員会の在り方である。今回初めてマスコミが社説という形でこの問題を取り上げた。具体的提言ではないが、「教育委員会は現状のままでいいのか。文科省はその在り方を再検討する必要があろう」と書いていた。

これを読んでうれしく思った。大津市、市教育委員会、警察等があの事件の真相を解明することは当たり前のことであるが、この事件の本質はそこにはない。いじめを無くし、無くすことができないのならば、いじめられているこどもがそれにノーと言える仕組み、あるいはそこから脱出できる仕組みを模索するべきだ。

つまり、無能で役立たずな教育委員会などは改廃し、開放された学校システムにするため義務教育制度そのものを見直す必要があると考える。しかし、現段階では、まずは現行の教育委員会を見直すことから始めるのも止むを得ないところだろう。そして、そのことを今回マスコミが社説で主張したことを大いに評価する。

昨年だったろうか、和歌山県か市で一人の教育委員が退任し交代した。たしか女性委員だったが、その後任を調べたら、前任の委員の系列(グループ)か何かの関係のようだった。つまり、教育委員というポストを馴れ合いで持ち回りしているんじゃないかという疑惑を持った。別にこれを批判しているわけではない。現行システムがそうなっているから教育に無縁の者でも持ち回りでも、どうでも良い。極言すれば、現行の仕組みでは委員は誰でも委員だ^^

しかし本来、教育委員とはそのような者で良いのだろうか。今般の事件はそのことを提起した。現在の和歌山県と和歌山市の教育委員の皆さん、あなた方が本当に県・市の教育のことをお考えになったうえで、その職(ポスト)にお就きになっているのでしょうか。それとも単なる名誉職としてでしょうか。

大津の問題は、すでに同市だけの問題ではなくなっている。全ての自治体共通の問題である。和歌山県と市の教育委員会においては、次の定例会でこの問題についての議論を期待したい。ただ、付け加えるならば、組織の形骸化はひとり教育委員会だけではない。それは自治体議会においてもそのきらいは大いにあると日ごろ感じている。

全文引用
いじめ対策 教育委員会の在り方問い直せ(8月2日付・読売社説)
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Posted by ecell at 19:55Comments(0)大津市いじめ問題

2012年08月02日

教育とは何か

教師とは何か、いじめとは何かと同様、さまざまな見解がある。わたしは、薩摩藩の郷中(ごじゅう)教育の訓戒がその本質を教えていると思う。

郷中(ごじゅう)教育の訓戒、即ちルール、掟(おきて)は単純明快。
自分にまけるな、嘘はつくな、弱いものをいじめるな。この三つだけ。

克己、正直、最後の「弱いものをいじめるな」は、勇気あるいは侠気とも言えるか。西郷隆盛など薩摩藩の連中は、その訓戒に従い己を鍛えた。

それ故、西洋の強国英国がアヘン戦争などで清国を虐め、アジアを侵略しようとすることを激しく憎み対抗しようとした。とうとう、1863年8月15日薩摩藩は、錦江湾で七隻のイギリス艦隊相手に攘夷を決行、薩英戦争を起す。善戦したものの攘夷実行がいかに愚策であるかを自ずと悟るほど、その被害は大きかった。

わたしたちの国は、かって第一次世界大戦後のパリ講和会議において、人種的差別の撤廃を提案した。1919年2月13日、日本は国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した最初の国であった。植民地諸国によって葬られたこの条約案。このことは日本人に大きな傷を残した。世界を支配するものたちの悪意と大国の偽善を知ることになったのだ。

戦国時代、信長はアフリカ出身の黒人を宣教師フロイスから譲ってもらった。弥助と名づけ、手元に置き可愛がった。そして彼の身の上話を聞きただした。東アフリカの部族長の息子であったが、白人たちに父母を殺され兄弟姉妹たちとともに捕らえられた。長い航海で兄や姉は死に、彼は奴隷としてはるか極東アジアに連れてこられた。その過酷な運命は信長の心を撃ったことだろう。

一刻も早く日本を統一し武力を整え、フロイスたちが来た道を逆に攻め上ろうと信長は考えた。マカオ、フィリピン、インド、アフリカそしてヨーロッパ。人間を人間と思わぬ外道を攻め滅ぼそうと考えた(に違いない)。秀吉はこれを継承しようとした。が結局、家康は一国平和主義を選択し国を閉ざしてしまった。そういう歴史をみていくと、わたしは第二次世界大戦は歴史の必然であったかもしれないとさえ思えてくる。

もし、日本が1945年8月15日ではなく、後2年、いや、もう1年頑張っていたならば中東アジアやアフリカの戦後の歴史も随分と変わっていたことだろう。奇しきことに、人種差別撤廃を称えた日本は黒人奴隷によって造られた国アメリカに敗れてしまったのだ。わたしは、当時のわが国の指導者たちに不満があるものの総じてその歴史には大きな間違いはなかったものと信じている。

話が脱線しすぎてしまったが、「弱いものをいじめるな」という精神はわが国の国是ででもあった。そんな思いを伝えたかった。  


Posted by ecell at 09:11Comments(0)大津市いじめ問題

2012年08月01日

いじめ問題の終息の動き

大津のいじめ問題は、教育長がとぼけた発言で世の顰蹙を買いながらも、その強心臓で時間を稼いでいる。担任教師は勿論のこと、委員長も顔を出さず、逃げの一手。

そして、今議論は個人の問題になっていくかのようである。
曰く

学級担任、教科担任、教頭、校長がいて、いじめを見抜けないのは教師の責任だ。
いじめに対する現場の意識改革を繰り返し強調したい。
教師OBらを活用するなどの体制強化を。

おいおい、どこか違うんじゃないかい。現役教師や教師OBなど現場の似非教育者なんかにもう任せられないんだよ。だから、学校改革、システムの改変を求めているんじゃないか。

結局、今回も研修訓練、要員強化とスローガンだけでお終いになるのか。あの無責任な教育委員たちがようやく一段落と、月一回1時間弱の定例会で高笑いをして、月額7~8万円の報酬を手に入れるのか。それは許さないぞ。出でよ、信長、竜馬、ソルジェニーツイン。もう一度、この国を洗濯しようではないか、竜馬さんよ。  


Posted by ecell at 18:56Comments(0)大津市いじめ問題

2012年08月01日

いじめ加害者の実名晒す行為は違法だと思う?

いじめ加害者の実名晒す行為は違法だと思う?
このようなタイトルで、マスコミらしい意見を書いたのは中日新聞の署名記事

大津市の事件では、いじめたとされる少年たちの実名などがネット上に流れた。関係のない人たちが加害者として間違って写真で紹介されるケースも起きている。

いじめた側をたたくだけでは、新たないじめを生むだけ。負の連鎖を断ち切る必要がある。


確かに少年法には少年の実名などは公表されないなどの保護規定がある。だから、いじめたとされる少年たちの実名などがネット上に流されたことは少年法に違反することである。

少年法61条:「『審判に付された少年又は…公訴を提起された者』については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であること推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。


問題は、「いじめた側をたたくだけでは、新たないじめを生むだけ」についてである。いじめた者たち、つまり犯罪者たちをたたくこと、犯罪者たちを処刑することは、現行法(少年法を含め)上、認められている。いじめという犯罪を起した者たちを裁き刑に服してもらうこと、即ち、国家がいじめた側をたたくことは、犯罪の抑止につながり、被害者(虐められた側)の報復感情を一部満たし、加害者側の贖罪(しょくざい)を促すことでもある。

「いじめた側をたたくだけでは、新たないじめを生むだけ」ではない。悪いことを悪いということは、それを抑止し、いじめが悪いことであることを教える、教育することである。いじめを罰することにより負の連鎖を断ち切ることである。もっとも、罰だけでいじめが無くなるわけではないが、少なくとも抑止しうる手段のひとつであろう。

次に、「いじめたとされる少年たちの実名などがネット上に流された」ことだが、この背景、つまり何故そこまで、ネットユーザーがしたかということ。それは端的に言えば、大津市の教育委員会等が正義を実行しなかったからではないのか。あまりにも酷い不誠実な対応であったからではないのか。あまりにも亡くなった子供がかわいそうだったからではないのか。

ギリシャ神話か何かだったと思うが、アンチゴーネの悲劇という話がある。政争の末、叔父に父を殺された娘アンチゴーネが叔父の「遺体を葬るものは死刑にする」という命令に反し、父の亡骸を丁重に葬ろうとした。怒った叔父は、アンチゴーネを死刑にしようとするが、彼女は死んだ父を葬るのはこどもの勤めです、法に反してでもわたしはそれをします、と応じた。

それとは逆に、悪法も法なりと言って毒杯をあおり自死したソクラテスの話もある。わたしは、後者の立場に立つが、アンチゴーネの気持ちが手に取るように分かる。現行の少年法を考えたとき、わたしはアンチゴーネに組したくなる。だから、あえて今般のネットでの怒りの行動を批判しない。

さまざまな意見があってよい。それが民主主義なのだから。しかし、法というルールを守ろうというのは理解できる。悪法も法なのだから。ただ、ネットユーザーの多くが何故そこまで追求したのかという背景も書くべきであるし、少なくともいじめた側をたたくだけでは、新たないじめを生むだけ、という論理も説明不足だと思う。そして、そのうえで、中日新聞が考えている「負の連鎖を断ち切る」方法を教えていただきたい、と思う。  


Posted by ecell at 08:11Comments(0)大津市いじめ問題

2012年07月31日

教師は英雄ではない

今世間では、教師は英雄であって欲しいというような論調と言うか雰囲気が出てきているように感じる。確かに、楽しんごさんを不良から守った男性教師、一部で評判の悪い政治家・義家弘介さんを立ち直らせた女性教師、ドラマだが仲間由紀恵さん主演の「ごくせん」、水谷豊さんの熱中先生、彼らはスーパーマン先生だと思う。

しかし、こんな先生は稀にしかいないのではないだろうか。あるいは、それだからこそ、我々はそういう先生に憧れ、そうあって欲しいと思うのだろうか。

実際の世の中は、大津市の教育長、校長、担任教師のような先生が普通なのだ。先生だけは聖人君子であって欲しいなぞドダイ無理な話である。しかし、世の中は、というか教育行政は先生がたに聖人君子になって貰うための研修訓練を始めだしたみたいだ。

何か方向が間違っていないかい。もし、研修訓練が必要っていうのなら、それは教育委員、校長、それに委員会事務局じゃないのか。現場の先生はその後でも良い。とにかく、そんなことより教育システムのあり方、学校制度の改廃、教育現場の開放などを議論し、施策化するのが大切じゃないだろうか。

今回の問題を先生たちの資質の問題にすり替えてはいけないと思う。もっと本質的な問題があるのじゃないだろうか。ほぼ一月を経ても何らのコメントも発しない大津市教育委員長をはじめ委員たち。本当にこんな委員が必要なのだろうか。  


Posted by ecell at 22:04Comments(0)大津市いじめ問題

2012年07月31日

いじめを減らすための努力

さまざまな識者がいじめ問題について提言されている。今日(07月31日)、NPO法人さいたまユースサポートネット代表理事の提言を読む機会があった。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2105?page=5

タイトルが「いじめは、なぜ学校で次々に起きるのか。迫られる学校の開放」で、説得力のある内容に同じ思いを感じた。ただ、次のところについては、少し違和感が残った。曰く、

学校とは子どもの居場所であるが、それは安全で安心できる居場所でなければならない。本来的に日本の学校は、そのシステム故にいじめが起きることは避けられない。であるならば、子どもの安全を守る教師たちの見守り体制が重要になっている。


この文章の「であるならば、子ども云々」の箇所である。文脈から言えば、「であるならば、子どもの安全と安心を確保するためにそのシステムを変えていかなければならない」と言わなければならないはずである。

にも拘らず、「教師たちの見守り体制が重要になっている」と教師たちの生活指導等の徹底を求めている。それはそれで必要なことかもしれないが、せっかく、学校システムの問題を指摘しているのに、その本質を存置したまま、枝葉の部分である「教師たちの見守り体制」づくりの提言に終わっている。残念と言わざるを得ない。

報道によれば、栃木県で「副校長・教頭対象にいじめ対策で県教委研修」が行われたようだ。 
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/news/20120730-OYT8T01746.htm?from=popin

これなども、教育委員会など教育に関するシステムの改廃などに手をつけず、公立小中学校の副校長・教頭等先生方を対象にいじめ対策に特化した研修ぐらいで、世論を沈静化させようとしているとしか思えない。やらないよりも益しかもしれないが、あの無能で役立たずの教育委員制度を変えなくとも良いのだろうか。

せめて、教育長以外の委員を名誉職から教育についての自論をお持ちでやる気のある方を選任できる組織にするべきだと思う。そのうえで、互選で教育長を選び、選ばれた教育長とガンガン議論ができる委員会であるべきだ。少なくとも、このような事件が起こったとき、逃げずに堂々と委員会としての意見が言える教育委員長あるいは委員であって欲しい。  


Posted by ecell at 08:36Comments(0)大津市いじめ問題

2012年07月30日

教育委員会不要論

大津市の教育委員長は、この事件に関してまだ何らのコメントも発していないのではないだろうか。一方、事実上の責任者である教育長は今般の事件の不手際を渋々認めた。行政の長である市長も、大津市教育委員会事務局の一連の調査は杜撰で信用できないものだと述べている。

通常、市長の責任の取り方は選挙による落選、リコール、市議会の不信任決議である。だから、この問題について、市長はすばやく動いた。警察も被害届のたび重なる不受理と世論などを踏まえて、嫌々にしてもかなりの捜査陣を投入して、躊躇せずに教委事務局と中学校の家宅捜索に入った。

こういう状況のなかで、ひとり惚けていたのが、教育長と教育委員会事務局だった。今、世論は、何年も前から議論になっては消えてしまっていた教育委員会不要論を再び唱えはじめた。それは、これだけの不手際を起しても誰も教育長の責任を問えないというシステムへの疑問。海外でも話題になっている大きな問題であるにも拘らず、顔はおろかコメントも出さない委員長、委員。世論以外、誰からもコメントを求められず、責任も求められない。

まさに、教育委員長、教育長たちは独裁者である。世論以外に怖いものは無い。沈黙していれば、やがて世論は落ち着くだろう。そもそも誰もおれ達を首にできる者などいないのだから。任期を終えれば、さすがに議会も任期更新に同意はしないだろうが、そのときまでは頑張れる。少しは嫌な思いをしているが、ロンドン五輪も始まったことだし、衆議院選挙も近いだろう。一番やっかいな世論も沈静化していくだろう。

むむむ.....一体それでよいのだろうか。もしここで、いじめ隠しの連中が生き残ったなら、ますます、いじめは陰惨になり、子供たちの学校に対する絶望はさらに深まっていくことだろう。そうなってはならない。彼らに負けてはならないのだ。

参考:日本復活
http://soukikaisann.iza.ne.jp/blog/entry/2775268/  


Posted by ecell at 22:00Comments(0)大津市いじめ問題

2012年07月29日

各地でイジメ問題が

大津市でいじめ問題が発覚して以来、各地でイジメ問題が次々と明らかになった。

奈良県桜井市では市教委の会見でいじめがあったことを認めた。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201207290166.html

被害生徒は担任に相談し、他の教師にも報告されていたがいじめの現場近くを通った教師は気づかなかったと言っていた。中2年の女子生徒が6月19日午後の下校時、校門の外で待ち伏せをしていた同級生6人に別の場所に連れて行かれ、うち1人に腰や足を蹴られて軽傷を負った。今日(29日)、加害生徒と保護者は、被害を受けた女子生徒側に謝罪し、終了後、校長(57)が記者会見する予定。

大阪府寝屋川市では、25日までに中学2年の男子生徒ら5人が傷害などの疑いで逮捕・補導されている。学校は再三指導したが改善されなかったため校長が警察に通報していた。
http://www.nikkei.com/article/DGXNZO44169030W2A720C1CC1000/

もっと酷い事件もあきらかになっている。去年10月大阪府貝塚市の空き地で定時制高校に通う男子生徒が首をつって自殺した事件で、携帯に残されたメモからいじめの可能性があるとして捜査していたが、証拠不十分で去年12月に打ち切られていた事件だ。しかし、父親の訴えで再捜査されることになった。
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120729-OYO1T00307.htm?from=top

大阪府貝塚市で同府泉佐野市在住の定時制高1年・川岸朋之さん(当時18歳)が自殺した問題で、川岸さんの携帯電話に自殺当日、いじめの加害者とされる専門学校生が少なくとも約20回、電話をかけていたことがわかった。川岸さんは電話に出なかったが、専門学校生らのグループから根拠のない借金を理由に金を要求されており、執拗な電話が引き金となって自殺を決意した可能性もあるとみられる。


加害者たちの多くは、「いじめたつもりはない。遊びのつもりだった」と言います。大人の言い訳としてよく聞かれる言葉です。遊びのつもりというのは、ほぼ全て言い逃れです。これを許さない毅然とした態度で罰を与えることが必要です。

いじめは絶対に許されないという姿勢を見せなければなりません。大津のいじめを知って温和な日本人が久しぶりに怒った。このいじめに対する嫌悪感、憎しみ、絶対に許さないというこの熱気を冷ましてはなりません。

この大津のいじめをさらに許せなくした、「問題にさえならなければ黙っている」という学校や教育委員会の体質。これこそがもうひとつの問題です。この腐敗し無責任な、教育者とは名ばかりの教育行政。それをどう変えていくのか。その点に踏み込まない限り、国民の納得は得られません。

わたしは無残に殺され、死んでいったこどもたちのカタキはこの現行の教育システムにあると思っています。義務教育に係る全ての学校の民営化などという過激なことは言いません。ただ、もっともっとこどもたちが学校から解放され、自分の意思で学業を選択し、先生を選ぶことができるシステム。地域社会に開かれた学校教育。教育を受けるすべが学校だけではないというごく当たり前のシステム。

家庭の都合等で義務教育を受けられなかった大人でも自由に小・中学校教育を受けられるシステム。少しでも良いから、一歩でも良いからより素晴らしいものに変えていこう。まずは教育委員会の改廃から始めよう。  


Posted by ecell at 20:15Comments(0)大津市いじめ問題

2012年07月27日

私の兄は両手足の指が1本もない

フェイスブックやブログで大きな反響を呼んでいる投書がある。一読して、ジーンと来た。だから、拡散したいので全文引用する。

主婦 織戸 郁子 (神奈川県大和市 58)

 私の兄は両手足の指が1本もない。私も1本しか指がない、障害者手帳1級と2級の兄妹です。私たちが幼い頃は障害者が外へ出るにも偏見があり、出会う子どもたちから心ない言葉でからかわれた。
 ある時、隣家のおばさんが「悪口を言う人が、あなたの悪い所をみな持っていってくれるのよ」とおっしゃった。
 私たちは親の熱意と周囲の善意で普通小学校に入った。いじめられるたび、私は泣きながら「ありがとう」と言った。おばさんの言葉が支えだった。気味悪がられたのか、いつかいじめはなくなった。
 成人して、ジロジロ見る人に友人が腹を立てると、私は「美人だから見ているのよ」と笑う。兄はパソコンで仕事をし、大学非常勤講師、私は「楽しい人だ」と周囲に言われながら、福祉相談員として忙しい日々を送っています。
 人の痛みがわかるのはその人の使命。今いじめられているあなた、どうか誰かに話して下さい。一人ひとりは強くありませんが、味方はたくさんいます。負けないで!

朝日新聞デジタル - 2012/07/23.13:00


これを読んで考えた。これはこれで良い。めげずに耐え、逆にいじめに感謝し、いじめを乗り切った。尊敬に値する。ボクシングの内藤大助さんもいじめられっ子として有名だ。もちろん、彼も立派だ。

しかし、それができなかった子供もいるし、あるいは現にいたことは事実だ。つまり、いじめるといじめられるの両者があって、いじめられるという視点からこれを克服したことを評価し、それができなかったことを貶めるような持っていき方。

わたしは、ずっと思っているのは、いじめをしないという視点の大切さというか、異文化、異質なものを尊重するおおらかさ。そして、いじめをおかしいと感じる感性。

うまく言えないが、ちょっと違うって思うんだ。いじめを克服したことは立派だと思うのだが、いじめをしない、あるいはいじめをおかしい、卑怯だと思う感性。そんなふうに感じられることのほうがもっと立派だと思うのだけど。

弱いものをいじめない。日本人が持っていた当たり前の感性が失われてきているのかなぁ。弱いものをいじめるな、みんな一人ずつがそう思い、そう言える社会。それが日本だったと思っているんだが...  


Posted by ecell at 23:24Comments(0)大津市いじめ問題

2012年07月27日

日本人はいじめが大嫌い

わが国には「判官びいき」という言葉がある。源義経を薄命な英雄として愛惜し同情すること。転じて弱者に対する第三者の同情やひいきのことを指す。日本人の心の中にある優しい心情のひとつである。

いじめは、周知のとおり「弱いものいじめ」であり、かって、わたしたち日本人が一番嫌いなことであった。小林一茶の俳句にある、「やせ蛙負けるな一茶ここにあり」などは典型的な弱いものへの応援歌であろう。

もう覚えている方も少ないだろうが、高校野球の池田高校のさわやかイレブンも弱小チーム(11人のチームだったが実際は強かった)だったからあれほどの応援になったのだろう。ずっと昔、日本人は弱いもの、か弱きものたちを愛してきた。大切にしてきた。

典型的な映画ストーリは、最後に凶悪な奴を退治して弱者が勝利する。この間、主人公は不条理や暴力に耐え忍ぶ、そして最後にひとり巨大な敵に立ち向かう。ほんとうに日本人は、大勢の人数で弱いものをいじめることが大嫌い。だから、このような映画を観てすっとした。

今般の大津のいじめは三人がよってたかって弱いものを徹底的にいじめた。わたしたち日本人が一番憎むことである。加えて、強者である教育委員会、教師、警察官たちも敵であった。これは許せないと思ったのは、日本人として当然のことであった。

わたしは、今回の一連の動向を日本人がまだ大切なものを失っていないということを示したものと安心している。いじめ殺されたこどもがあまりにかわいそうと思う気持ちは日本人として健全である。そう思っている。

しかし、かわいそうだから悪い奴を攻撃するだけでは、気分は幾らかすっとするかもしれないが、何も生まれてはこない。ここは感情を抑え、このようなシステムを変えていく段階に進まなくてはいけないのではないだろうか、と思うのだが...  


Posted by ecell at 19:34Comments(0)大津市いじめ問題

2012年07月26日

和歌山県の学校犯罪

先月(6月)、高野山(こうやさん)高校3年の17歳の少女が同級生をナイフで刺した事件がありました。少女は、和歌山家庭裁判所で保護観察を言い渡されていましたが、精神が不安定なためか、9月24日までの鑑定留置に変更されました。
http://wbs.co.jp/news/?p=6075

元教え子にみだらな行為、中学教諭を書類送検
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120726/wky12072602130001-n1.htm
昨年8月から今年2月にかけて、有田市内の公園駐車場に止めた自分の乗用車内などで、元教え子の当時18歳未満だった少女に計3回、みだらな行為をしたとして送検されました。

同署によると、2人は交際していなかったという。男性教諭は関係を知った少女の知人の少年ら2人に脅され、数回にわたって現金計250万円を渡していました。男性教諭が同署に恐喝の被害を相談したことから発覚。少年ら2人は4月上旬、恐喝容疑で同署に逮捕されています。

この中学教諭は、県青少年健全育成条例違反(淫行)容疑で書類送検され、行政サイドからもおそらく懲戒処分が出されることになるでしょう。

まぁ、大津市のいじめ問題に比べると、さほど深刻な事件ではないかもしれません。でも、女生徒と言い、中学教諭と言い、異常であることに違いはありません。これらは、氷山の一角であるかもしれません。和歌山県の学校に関しても思いのほか、大きな問題、例えば先生たちの退廃、無気力、質の低下、校内犯罪の隠蔽化などを抱えているのかもしれません。

文科省がいじめ調査の指示を出しましたが、この際、先生方のモラール調査など学校における諸課題(教育委員会、PTA、給食費未納等も含め)も併せ調べても良いのかもしれません。

注:松山市教委は、いじめ問題アンケートを毎月実施する旨指示したようです。   


Posted by ecell at 07:34Comments(0)大津市いじめ問題

2012年07月25日

とべないホタル

今から57年前、富山県の小学校6年生のクラスに小児麻痺の女の子トシ子さんがいました。トシ子さんは足が悪いためいじめにあいます。トシ子さんの涙ぐむ姿をみて、ほっておくと大変なことになると、受け持ちの先生は思いました。

いじめをやめるように厳しく説教します。子供たちはその場では分かった顔をしますが、いじめは繰り返えされます。

学校の周りはホタルの里です。受け持ちの先生は、夜、こども達とよく蛍狩りに行きました。先生は、群がるホタルのなかに、足の悪いトシ子さんのような飛べないホタルがいたらと思います。そんな思いで書かれたのがこの童話です。

読む人によってはなんと甘たっるい作り話を書いているのだと思うかもしれません。でも、このお話は、こども達の心に届き、いじめを憎み、それをなくそうとする心を育んだことは事実です。

厳罰だけでは人は動きません。教え、諭し、身をもって実践して、できたなら褒める。教育とは難しいものですが人間一生の仕事に値するものだと思います。

一生懸命頑張っている先生が報われるシステム。一生懸命頑張っている人が報われる社会。そういう人を冷やかし、バカにするような社会であってはいけない。愚直であっても一生懸命頑張っている人。そのようなひとを大事にするシステム・社会に向け少しずつでも変えていきたい。


えほんとべないほたる




  


Posted by ecell at 19:00Comments(0)大津市いじめ問題

2012年07月25日

大津のいじめに関する議論

森口朗さんという方が書いておられます。


今通っている学校だけが居場所じゃない
学校が嫌なら転校だってできる制度にすべきだし、内藤朝雄氏が言うところの学級制度のない中学校というのを造るのも私は賛成です(私は内藤さんのように過激ではないので全ての学級制度を潰せとは主張しません。あくまで学級制度のない単位制中学も造ったらどうかと提案するだけですけど)。

あるいは、米国で流行しているような自宅学習も、保護者が責任をもって学力レベルを確保できるのであれば認めるべきだと思います。


同感です。システムを変える必要があるとわたしも思っています。
一方で、次のようなコメントを書いているのを読みました。

イジメたことも
イジメられたことも
イジメを克服したことも
経験しないで大人になったとして
本当に「人格が完成した」と言えるのか?


いじめを経験しないと人格が完成できないのでしょうか。おそらく、いじめを必要悪と認めているうえで、これを克服してほしいということなのでしょうが、容認できません。いじめは悪いこと、なくすべきことと認識したうえで、ではどうすれば、いじめを無くす、あるいは減らすことが出来るかを考えるべきではないでしょうか。

いじめと人格の完成は直接の関係はありません。他人をいじめるのはいけないことです。やってはいけないことなのです。いじめを見つけたら、叱らなければなりません。それを肯定して、それを克服せよと言うならば、空手や柔道を習っていじめをする奴を叩き潰せということになりえます。それとも、いじめに耐え我慢しろということになりかねません。

次にこのような意見もあります。

子どもの通常の喧嘩に警察を呼べ、という人はいないだろう。大半のケースは、そこまでの必要はないはずだし、そもそも「決して許されない」かどうかも議論の余地があるはずだ。喧嘩は、子どもの発育の上で重要な意義をもっている。喧嘩を通じて、人とのつきあいや、ストレスへの対処を学ぶわけだ。そして学校は、そうしたことを、教師の目の届く範囲で行う機会を与えることのできる場所であるはずだ。

いじめにも、そういう部分はあるのではないか。子どもを自殺に追いやるようなひどいいじめがいきなり発生するとは考えにくい。ある程度の時間的経過があるはずだ。そうした中で、ひどいいじめにならないよう教師が注意しながら、子どもたちの交流を見守り、指導していくのが本筋だろう。「決して許さない」のは「ひどいいじめ」であり、それに至らないものは、教育の中で直していく。その線引は、被害者や加害者との日常の交流の中で、教師が判断していくべきものかと思う。その判断が信頼されていると教師が思えば、いじめを報告することに躊躇はしないはずだ。


一見もっともらしく聞こえます。が、要は喧嘩というのは教育上必要なものであり、教師が指導することにより、生徒も悪質ないじめを報告するようになるだろうと言う考えのようです。このような理想論というか現実離れをしている論を読むと、悲しくなってきます。甘いと思います。もはや事態はそういうものではありません。

森口朗さんという方が書いていることと比べてどうですか。後者お二人の考え方からは何も生まれてきません。何も変わりません。イジメを克服できず、自殺したものは弱いもので生きていても人格の完成などできなかったろう。そんなことをあなたは言えますか。また、生徒が教師を信頼できないから自殺をしたのだろう。結局、教師の判断ミスで、ひどいいじめにならないよう教師はもっと注意するべきだった。これでは何時までたっても問題は解決できないでしょう。

わたしは、制度を変えるべきだという森口朗さんたちの考えを支持します。まずは教育委員会を解体し、現行の教育長および委員会事務局と対峙するチェック機関とするため、教育委員メンバーから教育長を外します。そして、新たな教育委員会に、教育長を本部長とする教育行政を監視・監督する権限と機能を与えます。できれば、教育長を任期4年の民選職にします。とりあえずは、能力と気力のない委員には辞表を出していただきたいと思います。能力なき名誉職など不要です。  


Posted by ecell at 00:56Comments(0)大津市いじめ問題