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2010年09月21日

紀州太田城の女傑

和歌山駅東口の近く関空行きのリムジンバス乗り場の後ろに太田左近像とその顕彰の立て札がある。

顕彰の立て札は、2004.4.18の写真と比べると傷みが激しい。が、まだ何とか読み取れる。



太田左近は、天正13年(1585)
全国制覇をもくろむ豊臣秀吉に
対し、太田城に立てこもり、紀州の土豪を
指揮して抵抗したという、一か月に及ぶ
水攻めをうけた後、最期はみずからの
命を賭して城中の子女の助命を願い
城を開城したという。中世紀州の
在地土豪を集約した人物と
いえるであろう。

「紀伊続風土記」や「根来焼討太田責細記」による
太田城史跡顕彰保存会



この水攻めの最中、水に浮かぶ太田城から一艘の小船が漕ぎ出された。
天正13年4月、月のきれいな夜のことであった。



警戒のため堤の上では無数のかがり火が焚かれていた。
小船は太田城の天守閣を背景にゆっくり進んでくる。櫓をこぐ侍ひとり。

やがて小船は堤と城の真ん中あたりで泊る。
「力を持って人の自由を奪わんとするもの。何人たりとも許さぬ」
薙刀を右手にその女性が叫んだとき、堤の上の侍たちはどよめき驚嘆した。

この女傑は羽柴勢相手にさんざん暴れまわる。しかし、多勢に無勢結局取り押さえられ、
秀吉の眼前に連れてこられる。

秀吉は彼女の武勇に感じ入り、丁重に城に送り届けるよう指示をしたという。
女性の詳細はわからない。400年以上も昔のこと。ただ、今は空想するばかりである。


ウィキペディア:紀伊続風土記
2010年04月16日エントリ戦国時代の和歌山


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