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2011年04月30日

熊楠のキャラメル箱

和歌山に途方も無い天才がいたそうだ。その名は南方熊楠。想像を絶する巨人、怪人、超人であったようだ。例えば、その経歴(wikipedia)をちょっと見ただけでも圧倒される。

熊楠は、当時19(18と言う説もある)カ国語を使い、粘菌研究では世界最高水準、民俗学、博物学など世界三大碩学の一人と言われるほどの学識を持つと言われた。すでに子供の頃から、驚異的な記憶力を持つ神童だったらしい。また常軌を逸した読書家でもあり、蔵書家の家で100冊を越える本を見せてもらい、それを家に帰って記憶から書写するという特殊な能力をもっていた。

熊楠は、一生を在野の学者として生き、74歳で逝ったが、その生涯の圧巻は以下の場面であろう。
人間に限界なし!【 あの人の人生を知ろう~南方 熊楠 】 から引用(一部修文)

1929年(昭和4年)6月1日、熊楠62歳。陛下をお乗せになった御召し艦・長門が田辺湾に姿を見せた。熊楠は、田辺湾に浮かぶ広さ3㌶の神島(かしま)にいた。謁見は小雨降る神島の浜辺で行われた。このとき、熊楠は新調のフロックコートを纏った正装(つぎはぎがあったという説もある)であったという。熊楠は、神島をご案内した後、粘菌や海中生物についての御前講義を行ない、最後に粘菌標本を天皇に献上した。戦前の天皇は神であったから、献上物は桐の箱など最高級のものに納められるのが常識だったが、なんと熊楠はキャラメルの空箱に入れて献上した。「アッ」現場にいた者は全員が固まったが、この場はそのまま無事に収まった。側近は「かねてから熊楠は奇人・変人と聞いていたので覚悟はしていた」とのこと。後年、熊楠が他界した時、昭和天皇は「あのキャラメル箱のインパクトは忘れられない」と語ったという。

 
熊楠のキャラメル箱(森永製菓)
 「南方熊楠顕彰館(田辺市)」所蔵

このときのご進講については、熊楠が不敬なことをしないか、事大主義、自己保身の県役人などから相当な妨害があったらしい。しかし、かねてから昭和天皇は熊楠のご進講を強く望み、官学の大物学者(生物学御研究所の服部広太郎博士)を通じ申し入れておられた。これに熊楠は意外にもあっさりと受け入れている。結局、御召艦長門での25分の予定の講義は陛下のご希望で10分程度延長されたようである。熊楠の講義は卓越した生物学者である陛下の知的好奇心に火をつけたのかもしれない。この日は、ご進講の前に陛下は熊楠の案内で神島の森をご散策されたという。熊楠にとって忘れられない日となり、陛下におかせられても思い出に残る楽しい一日であったと推測できる。

[民俗]南方熊楠が天皇に猥談をご進講するのなかに、「南方は天皇にきのこの標本を示し、これさえ飲ませればどんな女性も思いのままになると説明した(つまり媚薬であると)。すると天皇はやにわに両手を机の上について、机の匂いを嗅ぎ始めたという。これは南方が語ったもの。

実は天皇は必死で笑いをこらえていたのだという。一流の学者がまじめに講義している内容を笑ってはいけないというのが天皇の心境だったようだ。確かに机に手をついてふっふっと笑いをこらえる姿は匂いを嗅いでいるように見える」とある。



以上のことは事実かどうかは知らないが、熊楠ならありうる話である^^
このご進講の翌年、行幸記念碑建立にあたり、神島が昭和天皇の仁愛と権威により末永く保護されるように願って「一枝もこころして吹け沖つ風 わが天皇(すめらぎ)のめてましし森ぞ」と詠んで、自ら一気に筆をふるったという。(南方熊楠記念館

沖から吹き付ける風よ、一枝一枝にも心配って吹けよ、この島の森はわたしの敬愛する天皇陛下が愛するものなのだから。

後年1962年(昭和37年)5月、昭和天皇・皇后両陛下が南紀行幸啓の際に神島を望見され、在りし日の熊楠を偲び、お歌を詠まれています。

雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ
あなたと会ったのは1929年(昭和4年)6月1日、あそこに見える神島の浜辺でした。あのときも、今日のように雨が降っていましたね。楽しいひと時でした。貴方もわたしも、限りなく微小なものでさえ生命を持っているという不思議を徹底して観察し、生命の不思議に心奪われた。できればもう一度、紀伊の国の人らしい天衣無縫で博識な貴方とお話をしたいものです。

この昭和天皇のお歌は、初めて、民間人の名を詠んだものだと言われている。加えて、その後「湯川博士」等の人名を配したものも少なくないようだが、姓名全てが詠み込まれたものはこの歌以外にはないと言われている。

 「怪傑くまくす」収録

追記(2012.8.17):
石油元売会社出光興産の創業者である出光佐三氏は、皇室を崇敬することが極めて篤く、彼の死去のおりに、昭和天皇が次の歌を残したといわれる。

出光佐三逝く 三月七日 国のため ひとよつらぬき 尽くしたる きみまた去りぬ さびしと思ふ 出典(ウィキペディア


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