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2011年09月11日

「死の街」は問題発言なのか

鉢呂吉雄経済産業相は9日の閣議後記者会見で、野田佳彦首相に同行して8日に東京電力福島第1原発を視察したことを説明した中で、「残念ながら、周辺の町村の市街地は、人っ子一人いない、まさに死の町という形でした」と述べた。

これの何が問題なのかわからないという声が少なくない。この発言の後、さらに「放射能をつけるぞ」とまで記者会見で悪ふざけしたことは許せないが、「死の町」は事実だし真実を話すのがなぜ悪いのだとの意見。一見もっともに聞こえる。

このような意見を聞いて次の動画を思い出した。

レポーターが被災者の女の子を泣かす


これも同様に、何が問題なのかわからないという声もあった。アップした人は「中越地震のレポートで配慮がないインタビュー」とタイトルを付けているとおり批判的な立場の人であった。

結局、これらの問題は感性の問題なんだと思う。このレポーターも酷いインタビューの後、涙声で一晩中泣いていたんだものねと話している。であれば、なぜこの小さな女の子が感極まって泣き出したとき、肩を抱いて、あるいは頭を抱いてやり、ごめんなさいね、酷いことを聞いて、とともに泣けば、印象はずいぶん違っただろう。

この動画を観る限り、レポーターは人としての思いやりが欠けていると思われても仕方が無いように思える。

つまり、経済産業相は、誰もがわかっている人一人っ子いない死の町である被災地(原発周辺)を無神経にも「人、一人っ子いない死の町」と(他人事のように)言ったのである。もちろんこれは真実である。しかし、そんなこと言われなくともみんな知っている。そもそも政府が立ち入りを禁止しているのだから、人っ子一人いないのは当たり前じゃないか。このような答えかたは配慮が足らなかったという以前に人として政治家としての感性が欠けていたと言わざるを得ない、と感じる。

「君もジャーナリストなら、すぐにでも現地に行き自分の目で確かめてみろよ」とでも答えるべきではなかったのか。あるいは、そのような質問をする記者をたしなめても良かったのではないだろうか。

例によって蛇足:

あるグループサウンズが和歌山を「近畿のおまけ」と自虐的な歌を歌っている。これは県民の一人としては不愉快だけど我慢できる。要はCDを買わなければよいのだから。しかし、仮に知事や市長等がそれを言えば、問題発言になるだろうし、ユーモアだと放置もできないだろうと、思う。それだけ政治家の発言には重いものがあるということではないだろうか。

たとえば、責任ある国の担当大臣(国交大臣や経産大臣等)から、おまえのふるさとは「近畿のおまけ」とか、「死のまち」だと言われれば、やっぱり不愉快に思う人は結構おられるんじゃないでしょうかねぇ。


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Posted by ecell at 23:50│Comments(2)行政
この記事へのコメント
ブログ読ませていただきました。
あなたの指摘されているとおり、あの発言で心を傷つけられた人がいるのだから、あれは配慮のない失言で謝罪は当然だと思います。
その点で異論は極めてすくないと思っています。
むしろ今回の件で意見がわかれている点は、この失言が即辞職に値するものなのかどうかだと思います。
発言の無配慮に私も納得していて謝罪して然るべきとは思っているが、即辞任という結果に合理性が見出せないのです。
世論が分岐しているのはその点だと思うのです。
その点について意見を聞きたいですね。

ここからは私見をざっくり言いますが、任務をしっかり遂行しているなら一回の失言で職を辞するのは被災者にとって不利益だと思います。発言で気づついた人の気持ちは晴れるかもしれませんが、結果的に復興は遅れます。
私には今回の失言を巡る騒動は、いつもの政局を商品にするマスコミの得意技だと冷静に見てます。

失言がなく、人間的に申し分なくて仕事も出来る人が一番です。
しかし、そんな人間は稀じゃないでしょうか?
失言を繰り返したならまだしも、一回の失言で、しかもすぐに謝罪をしているのに辞任しなければならない、、。もう少し寛容さがある社会のほうが、人は能力を発揮できると思うのです。
優れた柔軟な発想や迅速な決断ができる人間には、失言が多い人が多いように思います。この問題の政治家がそれに該当するかはわからないままの辞職ですが。
発言に常に気をつけないといけない空気、政治家が能力を発揮しにくい雰囲気が今の日本にあると思います。
誰でも間違いはする。
人の真価が問われるのはその後の対応だと思うのです。
Posted by コウタ at 2011年09月12日 11:54
コウタさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。

このエントリでは、あの発言は事実を言ったに過ぎないのだから、問題とする話ではないという見解に対するわたしの考えを書きました。

しかし、謝罪もしているし辞職するようなことだろうか、というご指摘には、わたしなら辞めないとお答えしたいと思います。ただ、これも人それぞれでしょうし、置かれている状況などによっても異なってくるでしょう。

わたしも知りたいです。鉢呂前経済産業相はなぜお辞めになられたのか、と。
Posted by ecellecell at 2011年09月12日 12:57
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