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2011年11月05日
利休の逸話
本当かどうかは知らない。利休の家の花(タンポポだったかな?)がいっぱい咲いて見事であるという噂を秀吉が聞いた。玄関から庭奥にある茶室までに咲き誇る花を愛でたい。秀吉はそう思ったに違いない。
ところが、利休の庭にあるはずの花が全て刈り取られていた。秀吉は失望しながら、茶室に入った。そこに、粗末な竹の一輪挿しにタンポポひとつが無造作に活けられていた。
さすが、利休である。その美的感覚には恐れ入った。
でも、わたしはそうは思わない。あざと過ぎると感じる。客人を無理やり自分の世界に、己の美の世界に引っ張っていくのは下種だと思うのだ。
おそらく利休は、期待の大きい秀吉が見事なほどいっぱい咲いた利休邸の花を見てもその期待を超えることは無いだろうと考えた。であるならば、秀吉の期待を裏切り、その全てを刈り取り、一厘の花のたたずまいを持ってもてなしたいと工夫したのだろう。真実の美とは、金銀の美よりも、わび・さびにこそあるはずだ。
人が感ずる美とは何か。あなたが美しいと感じるそれとは一体どんなものでしょうか?
ところが、利休の庭にあるはずの花が全て刈り取られていた。秀吉は失望しながら、茶室に入った。そこに、粗末な竹の一輪挿しにタンポポひとつが無造作に活けられていた。
さすが、利休である。その美的感覚には恐れ入った。
でも、わたしはそうは思わない。あざと過ぎると感じる。客人を無理やり自分の世界に、己の美の世界に引っ張っていくのは下種だと思うのだ。
おそらく利休は、期待の大きい秀吉が見事なほどいっぱい咲いた利休邸の花を見てもその期待を超えることは無いだろうと考えた。であるならば、秀吉の期待を裏切り、その全てを刈り取り、一厘の花のたたずまいを持ってもてなしたいと工夫したのだろう。真実の美とは、金銀の美よりも、わび・さびにこそあるはずだ。
人が感ずる美とは何か。あなたが美しいと感じるそれとは一体どんなものでしょうか?
Posted by ecell at 11:40│Comments(0)
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