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2011年11月18日

たった4人の学校

毎日新聞 2011年11月17日 地方
和歌山県内唯一の夜間学校を運営されている吉本拓司さん(51)の「いつでも学び直せる環境を」という報道記事を読んだ。いいニュースである。感動した。取りあげた毎日新聞の藤顕一郎記者にも敬意を表したい。

行政が見捨てている、あるいは切り捨てている市民の切ないほどのニーズをしっかりと支えておられるご努力に涙がこぼれかけた。

吉本さんは、2000年に和歌山市で夜間学校を開校された。今も、県内唯一の夜間学校とみられ、小学校教諭の吉本さんがボランティアで運営している。同氏は、識字学級も含めると、「学び直し」の現場にかかわって20年以上になるという。「大人になってからも勉強ができる環境を」という思いは尊い。そして、それを実行されていることに頭が下がる。

新聞記事はやがて消えていく。それは、暖炉の薪に過ぎないと言われる。文学作品でない、新聞の記事は、ひと時読む人の心を暖めて翌日には消えていく。しかし、その書かれたことは人の心に長く残るかもしれない。そんな記事をもっとたくさん、わたしは読みたい。


全文引用

「夜間学校はないんですか」。子どものころに学校に通えなかった男性の言葉に動かされ、00年に和歌山市で夜間学校を開校した。県内唯一の夜間学校とみられ、小学校教諭の吉本さんがボランティアで運営している。識字学級も含めると、「学び直し」の現場にかかわって20年以上になる。「大人になってからも勉強ができる環境を」。今は亡くなった男性の思いを胸に、夜間学校の運営を続ける。

 現在、昼は小学校に勤務し、夜は夜間学校や識字学級で教えている。夜の生徒は40~70代。生徒たちの人生を受け入れ、寄り添う学校を目指している。

 夜間学校を探す男性に出会ったのは99年。識字学級の生徒で、06年に65歳で死去した能勢博之さんだ。幼いころに旧満州(現中国東北部)から父、妹と岡山に引き揚げたが、父が病死して養護施設に入所。農作業などに追われ学校に通えず、左官として働き始めてからも読み書きや計算ができなかった。99年に和歌山へ移り住み、吉本さんが教える識字学級に通い始めた。

 当時も、県内には公立夜間中学はなかった。吉本さんは、能勢さんから「学びたい」という意志を感じ、「ほなやってみよか」と決意。1対1で教える夜間学校を始めた。

 能勢さんは「百マス計算」を繰り返して、2年かけて九九を覚えた。年賀状も漢字で書けるようになった。自分の手を描いた絵には詩を添えた。「ごつい手 きたない手 仕事してきた手 飯を作った手 大きな手 子どもをだいた手 おむつをかえた手 子どもを病院へ だっこした手」。吉本さんはこの詩に「ありがとう」と題名をつけた。

 県外の夜間学校との交流も始めた。大阪の夜間中学では、生徒が無茶なことを言っても笑い飛ばし、授業に引き込む教員に出会った。「こんなに温かい教育があるのかとショックを受けた。学校とは何か、勉強とは何かを教わった」。吉本さんは夜間学校を通じて、小学校教諭としての仕事に向き合う姿勢も変わったと振り返る。

 勤務先にも近所にも、学校に通えない不登校の子どもたちがいた。そんな子の受け皿として、公立夜間中学があれば、と願う。「人間いつかは『学びたい』と思う時期が来る。その時に、きちんと向き合える場がないと」。設置がかなえば、学ぶ気持ちを教えてくれた能勢さんが使っていたノートなどを学校に展示するつもりだ。【藤顕一郎】

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