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2012年05月21日

寿永2年の日蝕

寿永2年閏10月1日(1183年11月)、安徳天皇を奉じて西海に逃れた平家が備中水島の城に立てこもったときのこと。海陸から攻めてきた木曽義仲の軍に城中から軍鼓とともに平氏が打って出ると、天がにわかに暗くなった。源氏の軍兵は、驚き、方向を失って逃げ散ったという。

確かに、この戦いの最中に、日蝕は本当に起こったようである。日食ナビというサイトには、この年に日蝕(金環食)が起こったとあり、その範囲も地図上で示されている。

ちょっと信じられないが、平氏はかねてより日蝕が起こるのを知っていて攻め立てたと考えられている。「源平盛衰記」が記しているのである。しかし果たして、当時の宮廷の暦博士たちはこのような計算ができたのだろうか。計算式を立てるためには、高校レベルの数学・物理の知識が必要といわれる。← わたしには出来ないが^^

1500年代後半に信長が宣教師から地球の概念を説明され瞬時に理解できたという。当時は、地球が丸いと言われてもにわかには理解できないのが普通であったろう。然るにすでに、1100年代後半において、このような天文学的予測が出来たというのが事実であれば、それは驚くべきことである。日蝕、月蝕という現象がこの世界では起こりえるというぐらいの知識があったというのなら理解もできる。ほんとうに当時、暦博士たちはかなりの確率でこの時この場所での日蝕を予測できたのだろうか。当時の計算式というか、予測手法とはどのようなものであったのだろうか。

参考:源平盛衰記

天俄(にはか)に曇て日の光も見えず、
闇の夜の如くに成たれば、源氏の軍兵共日蝕とは知らず、
いとど東西を失て舟を退て、いづち共なく風に随つて遁行(のがれゆく)。
平氏の兵(つはもの)共は兼(かね)て知にければ、
いよいよ時を造り重て攻戦(せめたたかふ)。


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