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2012年07月31日
いじめを減らすための努力
さまざまな識者がいじめ問題について提言されている。今日(07月31日)、NPO法人さいたまユースサポートネット代表理事の提言を読む機会があった。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2105?page=5
タイトルが「いじめは、なぜ学校で次々に起きるのか。迫られる学校の開放」で、説得力のある内容に同じ思いを感じた。ただ、次のところについては、少し違和感が残った。曰く、
この文章の「であるならば、子ども云々」の箇所である。文脈から言えば、「であるならば、子どもの安全と安心を確保するためにそのシステムを変えていかなければならない」と言わなければならないはずである。
にも拘らず、「教師たちの見守り体制が重要になっている」と教師たちの生活指導等の徹底を求めている。それはそれで必要なことかもしれないが、せっかく、学校システムの問題を指摘しているのに、その本質を存置したまま、枝葉の部分である「教師たちの見守り体制」づくりの提言に終わっている。残念と言わざるを得ない。
報道によれば、栃木県で「副校長・教頭対象にいじめ対策で県教委研修」が行われたようだ。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/news/20120730-OYT8T01746.htm?from=popin
これなども、教育委員会など教育に関するシステムの改廃などに手をつけず、公立小中学校の副校長・教頭等先生方を対象にいじめ対策に特化した研修ぐらいで、世論を沈静化させようとしているとしか思えない。やらないよりも益しかもしれないが、あの無能で役立たずの教育委員制度を変えなくとも良いのだろうか。
せめて、教育長以外の委員を名誉職から教育についての自論をお持ちでやる気のある方を選任できる組織にするべきだと思う。そのうえで、互選で教育長を選び、選ばれた教育長とガンガン議論ができる委員会であるべきだ。少なくとも、このような事件が起こったとき、逃げずに堂々と委員会としての意見が言える教育委員長あるいは委員であって欲しい。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2105?page=5
タイトルが「いじめは、なぜ学校で次々に起きるのか。迫られる学校の開放」で、説得力のある内容に同じ思いを感じた。ただ、次のところについては、少し違和感が残った。曰く、
学校とは子どもの居場所であるが、それは安全で安心できる居場所でなければならない。本来的に日本の学校は、そのシステム故にいじめが起きることは避けられない。であるならば、子どもの安全を守る教師たちの見守り体制が重要になっている。
この文章の「であるならば、子ども云々」の箇所である。文脈から言えば、「であるならば、子どもの安全と安心を確保するためにそのシステムを変えていかなければならない」と言わなければならないはずである。
にも拘らず、「教師たちの見守り体制が重要になっている」と教師たちの生活指導等の徹底を求めている。それはそれで必要なことかもしれないが、せっかく、学校システムの問題を指摘しているのに、その本質を存置したまま、枝葉の部分である「教師たちの見守り体制」づくりの提言に終わっている。残念と言わざるを得ない。
報道によれば、栃木県で「副校長・教頭対象にいじめ対策で県教委研修」が行われたようだ。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tochigi/news/20120730-OYT8T01746.htm?from=popin
これなども、教育委員会など教育に関するシステムの改廃などに手をつけず、公立小中学校の副校長・教頭等先生方を対象にいじめ対策に特化した研修ぐらいで、世論を沈静化させようとしているとしか思えない。やらないよりも益しかもしれないが、あの無能で役立たずの教育委員制度を変えなくとも良いのだろうか。
せめて、教育長以外の委員を名誉職から教育についての自論をお持ちでやる気のある方を選任できる組織にするべきだと思う。そのうえで、互選で教育長を選び、選ばれた教育長とガンガン議論ができる委員会であるべきだ。少なくとも、このような事件が起こったとき、逃げずに堂々と委員会としての意見が言える教育委員長あるいは委員であって欲しい。
Posted by ecell at 08:36│Comments(0)
│大津市いじめ問題