雑学・和歌山→記事一覧 投稿した記事が増えてきましたので目次と要約のサイトにリンクしました(2010.4.3)。画像も増えてきましたので、雑学・和歌山 MY ALBUMにリンクしました(2011.2.12)。
2013年07月21日
親子おもしろ算数教室
和歌山県橋本市は算数・数学の教育に力を入れている。例えば、低学年のための親子おもしろ算数教室。この教室は、小学校高学年の児童と保護者が対象である。
昨日(7月20日)、第4回「おもしろ算数教室」が開催された。定員は40名程度だったようだが、年々参加者、希望者も増え、毎回、好評であるという。このほかにも橋本市は、数学者の秋山仁教授を顧問に積極的に算数・数学の教育活動をおこなっている。
何故に、橋本市は算数・数学の教育に熱心なのか。それは、名誉市民の一人である数学者で文化勲章を受賞された、故岡潔教授を記念し、その志を受け継ぎ、算数・数学の面白さを通じて子供たちを育てようとするものである。
ところで、世界的な大数学者であった岡教授には幾つものエピソードがある。6歳年下の湯川秀樹、朝永振一郎らも岡教授の講義を受けており、物理の授業よりもよほど刺激的であったようだ。後に、岡教授の授業を新鮮な空気のただようような時間だったと回想している。
わからないことを「わからない」で済まさず、とことんそれが「わかる」まで追求しようとした偉大な人。その業績は、いや業績ではなくて、その尊い姿勢は後世につながる。このような取り組みによってまた、和歌山から偉大な人が将来何人も輩出されることだろう。そう期待したい。
何事も一所懸命だった岡先生。数学のことは全くわからないわたしだけど、何事も一所懸命やっている人を決して笑わないことを肝に銘じたい。健気という言葉を大切にしたい。きっと、宇宙や自然のごとき大きなものから見れば、人間は、わたしはきっと取るに足りない小さな存在だろうと思う。でも、一所懸命に生き、小さくても良いから花を咲かせたい、そう思う。
2013年06月12日「花泥棒」で書いたつぼみのままに消えた花。お隣さんにまたいただいて大事に育てていた。ようやく咲いた。花の名前は忘れたが可愛い花びらだ。
参考:
絵本「岡潔博士ってだぁーれ?」
岡潔年譜
湯川秀樹
母方の祖父・駒橘は元紀州藩の武士であり、また湯川家自体が先祖代々和歌山県出身であるため“和歌山出身”と紹介されることもあるが、本人曰く、京都市出身との事。
昨日(7月20日)、第4回「おもしろ算数教室」が開催された。定員は40名程度だったようだが、年々参加者、希望者も増え、毎回、好評であるという。このほかにも橋本市は、数学者の秋山仁教授を顧問に積極的に算数・数学の教育活動をおこなっている。
何故に、橋本市は算数・数学の教育に熱心なのか。それは、名誉市民の一人である数学者で文化勲章を受賞された、故岡潔教授を記念し、その志を受け継ぎ、算数・数学の面白さを通じて子供たちを育てようとするものである。
ところで、世界的な大数学者であった岡教授には幾つものエピソードがある。6歳年下の湯川秀樹、朝永振一郎らも岡教授の講義を受けており、物理の授業よりもよほど刺激的であったようだ。後に、岡教授の授業を新鮮な空気のただようような時間だったと回想している。
わからないことを「わからない」で済まさず、とことんそれが「わかる」まで追求しようとした偉大な人。その業績は、いや業績ではなくて、その尊い姿勢は後世につながる。このような取り組みによってまた、和歌山から偉大な人が将来何人も輩出されることだろう。そう期待したい。
何事も一所懸命だった岡先生。数学のことは全くわからないわたしだけど、何事も一所懸命やっている人を決して笑わないことを肝に銘じたい。健気という言葉を大切にしたい。きっと、宇宙や自然のごとき大きなものから見れば、人間は、わたしはきっと取るに足りない小さな存在だろうと思う。でも、一所懸命に生き、小さくても良いから花を咲かせたい、そう思う。
2013年06月12日「花泥棒」で書いたつぼみのままに消えた花。お隣さんにまたいただいて大事に育てていた。ようやく咲いた。花の名前は忘れたが可愛い花びらだ。
参考:
絵本「岡潔博士ってだぁーれ?」
岡潔年譜
湯川秀樹
母方の祖父・駒橘は元紀州藩の武士であり、また湯川家自体が先祖代々和歌山県出身であるため“和歌山出身”と紹介されることもあるが、本人曰く、京都市出身との事。
Posted by ecell at 08:38│Comments(0)
│行政