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2011年04月29日

昭和天皇のユーモア

今日(4月29日)は、昭和の日です。昭和天皇の誕生日であります。この祝日は、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日であり、国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日なのです。

近頃は、家の門などに日の丸を掲げているのを余り見かけませんが、せめてこの日、少しだけでも昭和の御世を思い出してみるのも良いのかもしれません。

昭和天皇の在位期間は、昭和元年(大正15年、1926年)12月25日から昭和64年(1989年)1月7日まで62年と2週間でした。昭和は、戦争、敗戦、復興とまさに激動の時代でした。今と比べると貧しい時代でしたが、なぜか閉塞感が無く、希望を持てる時代であったような気がします。

以前、宮内庁に勤める知人が語っていました。昭和天皇はご苦労されたのか、非常にわたしたちに気を使ってくださいます。行幸の際、道を誤った先導警官がその過失をわびて自殺されたこと、戦前のことですが、ある軍人が虚偽の報告ばかりをするので叱ったところ、叱られた軍人は気の病を得て亡くなってしまったことなど自分の言動の重さをよくお知りになられていたようです。

だから、わたしたちは皆、陛下を尊敬し慕っていましたね。皇太子殿下は、民間から美智子様をお迎えなされ、よくお友達を招かれて遅くまでご歓談されていました。開かれた皇室は結構なのですが、女官たちが夜遅くまで残業で残され不満を言っていました。ご旅行のときも予定に無い行動をとられ警備の人たちは大変だったようです。

このような話を聞いたことがありますが、わたしは民間から皇室に入られた現皇后様がどのように皇族や宮内庁職員から苛められたかを思うとき、不謹慎なことですがかわいそうに思えてなりません。粉屋の娘と陰口をたたかれ、陰湿ないじめにあわれたことと思います。

ところで、わたしにとって、昭和天皇の印象は「ああ、そう」と笑顔を見せる好々爺そのものでした。
なかでも昭和57年、赤坂御苑で催された「春の園遊会」で、陛下は前年、世界柔道選手権大会で95㎏超級と無差別級の2階級で優勝した山下泰裕さんにお声をかけたときのやり取りは、陛下のユーモアのセンスを感じさせられるものでした。



「柔道でずいぶんがんばっているようですね」
陛下のお顔ににっこりとした微笑がうかび、「柔道は、骨が折れますか?」
「2年前に骨折しましたが、今は体調もよくがんばっております」

このときのことを、山下さんはこう述べている。
自分でも言っているうちに薄々間違いに気がついたがもう遅い。一気に言い切ってしまった。

実は、10数人のスポーツ選手とともに東宮御所での慰労会に招かれ、皇太子、皇太子妃両殿下(現在の天皇、皇后両陛下)に骨折の話をしたばかりだったため、うっかり口に出てしまったのだ。

だが、怪我の功名といえばいいのか。失敗を悔いる間もなく意外な展開が待っていた。私の勘違いがおかしかったのだろう。陛下と私の会話に静かに耳を傾けていた他の出席者から笑いがおこった。さっきまでのピンと張り詰めた緊張が一瞬で解け、会場には和やかな空気が漂った。陛下も楽しげな笑みを湛え「今日はよく来てくれました」と私をねぎらってくださった。

あの勘違いのおかげで、私は、運良く陛下の自然なお姿と笑顔を知ることができたと思っている。私にとって大きな体験だった。陛下の慈しみ深い表情を目前で拝見したとき、こう感じたのだ。

陛下は、常に世の中の平和や人々の安らぎを心から願っているのだ、と。
私は、いくら言葉を重ねても相手には届かない「思い」というものがあると考えている。そんな陛下の「思い」が、表情、立ち居振る舞い、雰囲気から私の心に響いてきた。

山下さんのこの話を聞いて、きっと、陛下は「自分自身に座布団5枚!」とお思いになられていることでしょう。
和歌山の市井の学者 南方熊楠先生の講義を望まれるなど非凡な生物学者であるとともに、お相撲が大好きで、落語を聞いてよくお笑いになっておられた昭和天皇。その御世は、戦争を除き良き時代であったと言える。

平成の時代を昭和と比べるとき、漂うこの閉塞感はいったい何なのか。それは、国家主権の保持、高齢少子対策、経済格差の進展、国家・自治体財政の破綻危機、年金福祉の維持など諸課題に適切に応えていない現実政治に対する不信にあるのではないだろうか。そして3月11日の未曾有の大震災。多くの人が亡くなられ、われわれは悲痛にうちひしがれてしまっている。

今上陛下は、一所懸命国民のことをお考えになられ、連休中も被災地をお見舞いなされるとのこと。いつか、平成の御世も大変な時代であったけれども、象徴天皇のもと国民が一丸となって復興に努めた。みんなの心が一つになって、世界の人々が日本を応援してくれて、多くの国々や人々と気持ちが通じあった、平成とはそんな良き一面もあった。後世、そう記憶される時代であってほしいと切に願っています。


以下はすべて引用です。

昭和天皇はユーモアにとんだ方だったと聞きますが、どんなユーモア話がありますか...

昭和天皇はジョークのつもりはなかったと思いますが、
3つほどエピソードを・・・。

・昭和24年、長崎・雲仙岳にご登頂の際、
三谷侍従長が「あれが阿蘇山でございます」
昭和天皇「あ、そう」

・昭和50年の訪米の際、
ロックフェラーⅢ世「うちの銀行の東京支店が皇居の近くにありますので、ぜひお立ち寄りください」
昭和天皇「預けにですか?それとも借りにですか?」

・時期不明ですが、伊豆・下田の須崎御用邸に向かう車中で、「伊東に行くならハトヤ、というのはどこだ?」

旭川ロータリークラブ

昭和天皇が四国のある村を訪れ、そこの村長から見晴台から見える山の説明を受けていました。すると天皇は指差して「あの山は何と言う山かね?」と尋ねられました。一瞬、困った村長は「陛下、あの山はただの山でございます」と答えたそうです。その時何もなかったように振舞う陛下の足下をみると、一生懸命笑いをこらえて足元が震えていたそうです。

昭和天皇の人柄を教えてください。

昭和帝のお人柄を紹介した本は多く、歴代の侍従長や侍医が沢山の本を出しています。
・・・その中から幾つか逸話を紹介します。

1,閲兵の際に雨が降り出して
豪雨の中で昭和帝は最後まで直立の姿勢を崩さなかった。
側近は帝に雨に濡れない場所への移動を求めたが、応じず。

2,フランス語の辞書
愛用の辞書が余りにボロボロなので、
侍従がこれを買い換えようとしたが「もったいないから」と拒否。

3,学習院時代の名前
旧友同士が苗字で呼び合うのを見て、
自ら「竹山」と名乗り、旧友に呼び捨てにしてくれと要求。

4,ベトーについて
昭和帝に叱責されて辞任-病死した田中義一の例を忘れず、
なるべく君主の拒否権を行使しないように気をつけていた。
これを行使したのは、226事件の時と終戦の時位だった。

5,フグについて
帝は毒に配慮してフグを食す事を禁止されていたが、
「フグを食べてみたい」と側近に言ってみるのが好きだった。
侍医などは、帝の「なぜ、ダメなのか」という下問に答えられず、
困ったりしていた。しかし、これは帝の好きな冗談らしく、
帝自身、フグは食べられ無いと言う事は理解していたらしい。

6,相撲好き
大の相撲好きで有名だが、
贔屓の力士については質問されても決して明かさなかった。
贔屓の力士を言えば世間が騒ぎ色々な人に迷惑がかかると配慮した。
でも、実は蔵間のファンだったと推定されている。

2014.09.09追記
記者から贔屓の関取を聞かれ、「職業上の秘密」と答えられたとか^^

7,陸軍の作戦に対して
戦前、陸軍が太平洋戦争についての説明をすると、これに反論。
参謀総長が返答に窮した。あまり陸軍の作戦立案能力を信頼していなかった。

8,松岡洋祐が嫌い
松岡外相が外交の舞台に出ると必ず日本は窮地に立つので、
彼を信頼していなかった。どころか、スパイではないかと疑っていた。
後に松岡が靖国に祀られると靖国参拝を取止める程の嫌いようだった。

9,反乱軍を鎮圧
2・26事件の際になかなか鎮圧に動こうとしない陸軍を叱咤。
自ら近衛師団を率いて鎮圧に向かうと発言して陸軍を慌てさせる。
ついに、この発言を聞いて陸軍は決起部隊を「叛乱軍」と認定する。

10,近衛師団を説得
玉音放送の録音盤を奪おうと終戦前夜に反乱した近衛師団に対し、
自ら兵の前に立って説得すると言い出し、側近に止められる。

11,終戦の責任を取る
終戦後、マッカーサーの元へ行き、責任は私にあると発言。
これを聞いたマッカーサーは本国に「天皇を戦犯から外せ」と要求。
この時のマッカーサーの電文は殆ど米政府への脅迫に近い。

12,暗殺者を改心させる
戦後、佐賀への巡幸中にシベリア抑留帰りの暗殺者が接近。
その時、帝は帰還者たちに「長く外国で苦労をかけた」とか、
「大変だったろう」と労いの言葉をかけて歩いている最中だった。
暗殺者はそれを見て号泣し、暗殺を断念してしまった。

13,実は皮肉屋
新宮殿を見に来た米国大使に「前のは貴方らに焼かれてね」と発言。
自民党内でグダグダの争いを展開しつつあった大平首相の参内では、
報告をする大平に一言も返さないでじっと見据え続けるということも。
記者の「いつも皇居からどこを眺めているか?」の質問に対して、
「国会議事堂だよ」と笑って答えた。迷走する政治に対する皮肉。

14,A級戦犯に対して
晩年、行幸先の愛知県で早朝、殉国七士墓碑の前に向かい、
長時間直立でその碑を眺めていた。この頃、靖国参拝は中止されていた。

15,生物学が専攻だが本当は歴史学が好き
学生時代、歴史を専攻しようとしたが、政治に関与しすぎるとして断念。
政治とは無関係な生物学のしかも専攻にしている者が居ない分野を選択。
自分の出した研究が要らぬ配慮をされないようにと考えた末の結論だった。

16,異様なカリスマ性
米大統領・フォードは帝の謁見を受け、体の震えが止まらなかったと回想。
中国の指導者・鄧小平は帝の前で体が震えっぱなしだったと侍従が証言。

「昭和の日」記念・昭和天皇の知られざる実像・マッカーサーを感動させた言葉・貞明皇太后の前で泣いた昭和天皇とその後の行幸

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この記事へのコメント
この記述は非人道的過ぎて、気分が悪い。
もういいかげん天皇を「記号」から解放してあげたら? 天皇だって人間だよ?
Posted by moveL at 2011年04月30日 12:47
moveLさんコメントありがとうございます。
このエントリがあなたの気分を悪くさせたことを申し訳なく思います。
わたしは、天皇制を支持する立場ですが、あなたの天皇制廃止や元号「記号?」制の廃止の意見を尊重します。

本来、生身の人間に日本国や日本国民統合の象徴としての役割を持っていただくということには現実問題としてかなりの無理があります。新憲法下において、これまでの天皇は本当に大変なご努力を尽くされてきたと思います。
言わずもがなですが、陛下は日本国民ではありません。ですので、憲法第三章の基本的人権を保持していません。政治的自由や職業選択の自由など国民の持つ権利を有していません。もちろん姓も有していません。日本国憲法は、国家を構成する人的要素として天皇と国民を分けて定めています。

今、ネットで雅子さまを悪しざまに言う人を見かけますが、わたしは雅子さまの悲しみ、苦しみ、孤独を思うとき離婚すべきだと思ったことがあります。しかし、それは現実問題として不可能なことでしょう。ひどい話ですが大きな鈍感力で乗り越えるほか無いのかもしれません。

最後に皇室に関するわたしのスタンスは、これを崇拝し、特に雅子さまをマスコミなどから守ってさしあげたいという立場に立っているものです。
Posted by ecellecell at 2011年05月01日 21:14
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