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2015年01月20日

実母が根っからの詐欺師

どうすればいい? 親子であっても悪縁は切るべき。こういうタイトルの記事があった。読んでいくうちに、いろいろと考えさせられた。
どう考えたかは書かないけど、というより書けないけど。マァ読んでやってください。

【読者からの相談】

  私にはそれぞれ別所帯の36歳と24歳の娘がいます。長女は私が21歳の時の子で、今は起業して自営しています。まず私の生い立ちを聞いてください。

  私が5歳の時に両親が離婚し、家族は、父と父の再婚相手の継母、母親違いの妹弟の5人でした。父は建築業を自営していて継母も忙しく、家事や雑用はすべて私の役目で、私は毎日が爆発寸前でした。

  当時、私の家には職人さんが居候していて、朝の食事を作るのも私の仕事でした。そして朝食を職人の部屋に運んで帰ろうとしたとき、その人が私を引っ張り、私は乱暴されました。私は小学4年生で、恐怖で気がおかしくなりそうでした。

  両親が仕事で遅い時は毎晩、職人が私の部屋に来るので私は耐えられなくなり、父にうち明けました。ですが父は小学生の私に、お前にも隙があったのではないかと言うだけです。私は悔しさと情けなさで父を恨み、それ以上助けを求める方法を知りませんでした。

  継母の私に対する扱いはネグレクトと虐待の繰り返しでした。私という存在自体を無視するか虐待による生傷が絶えず、食事時も皆とは別で、父は殆ど留守で状況を知らず、訴えても信じてもらえません。

  中学生になって私は不良になり、仲間といることで楽しさを知り、なんとか精神の均衡を保ちました。ですが両親は私の不良の原因を理解しようとせず、両親の訴えで鑑別所に送られました。その時の担当のお巡りさんが、あんな両親だけど負けるな、とあきれていたのを覚えています。15歳から3年間の少年院時代、面会に来た両親とは一度も会わず、出所後も一切会わず、自立しました。

  21歳の時恋愛をして妊娠しましたが、相手は私が出産する前に交通事故で亡くなりました。そして彼の大きな借金を、私が数年かけて返済しました。

  継母の危篤を知らされたときも、父が62歳で他界したときも私には何の感情も起こらず、会っていません。中卒で母子家庭での育児は経済的に苦しく、必死で働きました。友人には恵まれ、いろいろ助けられながらなんとか頑張っていた時、私は仕事中に腎臓結石で倒れました。

  そんなとき、実母が私を探して会いに来たのです。当時の私は疲れきっていて母の悪巧みに気づかず、退院後は母に娘を預け働きました。その時は知らなかったのですが、母はヤクザと再婚してスナックを経営していました。娘を引き取りに行ったとき、娘の面倒をみるのにかかったお金を払わないと娘を渡さないと言われ、自分の甘さを痛感しながら、50万円を払って引き取りました。

  その後私は実母とも絶交渉で生きたく、何度も逃げて引っ越しましたが、そのたびに母夫婦は2人して、金をせびりに来ました。私に結婚を申し込んでくれた彼まで探し出し、会いに行って借金を要求したのです。当然彼からは泣く泣く別れを告げられました。実母のおぞましさは、引っ越し先々につきまとい、再婚相手のヤクザの人が亡くなるまで続きました。

  現在私は59歳ですが、長女は小さい頃の祖母の記憶があるらしく、私に内緒で祖母の居所を探し、会いに行ったそうです。実母には恐怖心しかない私に娘は、「ママ、何故おばあちゃんと会わないの」となじります。長女は祖母の人間性を知らず、私のおぞましい生い立ちも知りません。実母を避けている私を冷たいとなじります。

  私が働いていたので家事一切を長女に任せ、経済的にも大変でしたので、遊び盛りの娘にとっては、私に不満も多かったと思います。そんな娘が祖母である実母を慕うのも、実母が自分に都合よく正当化し私を悪者にして、経営者でもある孫娘を手なづけているのも、私には不安のたねです。

  実母の底なしの悪知恵を知っているだけに、娘に何かあれば私が命をかけて守りますが、彼女は祖母に会うようになってから祖母に同情し、私と距離を取るようになってきました。私の実母が娘にどんな会い方やどんな話をしているのか判からないだけに、娘が私と距離をとり始めたことに不安が募る毎日です。いろいろ思い出され、長々と相談が取り留めなくなってしまい申し訳ありませんでした。

 れいこ(仮名)



 【パンプキンからのコメント】

 れいこ様、小説の主人公にも負けない過酷な貴女の波瀾万丈を私に語ってくださり、恐縮です。何度も驚きながら拝読させていただきました。

 このところ当コラムでは、親子のもつれた関係についてのご質問が多く、時には私では役不足と感じつつも、なるべく逃げずに考えるようにしてきました。今回も、壮絶な人生を歩んでこられた貴女に、私などが助言できることがあるのか心配ですが、私は次のように考えます。

 人はどんなに賢く生まれても人間関係では未熟なところから出発し、間違いや失敗は避けられません。問題は多くの人は学習能力があり、それらの失敗などを反省し、学びながら成長し、年を重ねます(なかなか直せない欠点もありますが)。

 私が半世紀以上生きて驚いたことのひとつは、この種の反省や学びがないどころか、むしろ自分の過ちを正当化したりウソで塗り固めて周囲に吹聴し、堂々と年を食って生きる、恥知らずな人がいることです。貴女の実母も言葉巧みで、この範疇に入る人ではないでしょうか。

 私の親友の緋沙子さんは貴女のように、継母から無視され酷使されて暮らしました(実母より継母を敬愛する子供さんも多いです、念のため)。緋沙子さんは小学校入学前から、継母が起きてから寝るまで、継母のそばについて小間使いや手伝いをしないと、「何様だ」と激怒されました。

 継母は一日中機嫌が悪く、家じゅうの人に八つ当たりし、母違いの弟妹たちをもヒステリックに叩くので、弟妹たちのためにも緋沙子さんはずっと、彼女がそれ以上機嫌悪くならないように、自分の睡眠時間以外は神経を尖らせて暮らしたそうです。

 人を恨むにも時間と恨む心の隙間が必要です。緋沙子さんは結婚後は、継母と別に暮らせることがうれしく、そして継母を恨む間がないほど別の苦労で忙しく、継母に無視され酷使されたことも過去のこととして(忘れて?)彼女と普通に付き合い、継母が老いてからはその継母に尽くしたり、助けたりしました。

 緋沙子さんは継母が自分に優しくなったのを彼女の反省の証しだと思い、嬉しかったそうです。「美しい言葉をかければ美しい言葉が返ってくる」という諺を実感し、しかも自分が継母の役に立てば立つほど、自分を虐待した継母は、心底では後悔を募らせているだろうという快感があったそうです。そうして半世紀が経ちました。

 ある日、実家に起きた小さな問題で、緋沙子さんは継母に意見をしました。緋沙子さんは実家の問題ではいつも私利私欲がありません。それを十分に理解するに至っているであろう継母は、緋沙子さんの意見というだけで、すんなりと受け入れると疑わなかったそうです。

 しかし継母はその瞬間、「いつからそんなに偉くなったのだ!!」と、昔の奴隷主の顔つきそのままに、緋沙子さんに猛然と食ってかかり罵りました。その時の、鬼より醜い継母の様相が、昔、緋沙子さんを虐げたあの顔だったのです。その顔に、父娘で隷属させられた昔に一瞬にして連れ戻されて緋沙子さんに被虐待体験が蘇り、夜も眠れなくなったとか。

 緋沙子さんは継母のご機嫌が、自分の時間とおカネと心を提供して、継母にとっては得する関係の上で成り立っていることは知っていました。この人は昔から与えることを知らず、奪うだけの人だったからです。しかし反省も学びもなく、緋沙子さんの献身を、当然の権利と考えてつけあがらせていたことまでは見抜けませんでした。反省と学びのない後期高齢者の存在を、緋沙子さんは遅まきながら、このようにして知ったのです。

 この時、緋沙子さんがもうひとつ驚いたことがあります。彼女には早くに結婚して家を出ていた実姉がいるのですが、虐待については知っていても、陰湿で執拗な具体的な内容については、何ひとつ知らなかったのです。

 虐待の内容のいくつかを実姉に語るととても驚かれ、緋沙子さんはそんなことが姉にさえ伝わっていなかったことに愕然としたそうです。緋沙子さんは、あの世の方が楽に思えたほどの結婚前までに受けた虐待を、姉にさえ告げる間もなく年を取ったのです。それは継母にとってはとても都合がよく、緋沙子さんの孝行は継母の反省と恥を知る機会を奪ったどころか、つけあがらせただけでした。

 れいこ様、母娘といえど、言葉で伝えないと伝わらないことがあります。私なら娘2人を前に、小学校4年の事件を除いて、自分の人生を全部話します。甘言に乗ってひどい目に遭ったところに力をいれ、娘さんたちに注意を喚起します。ヤクザの連れ合いをなくした80過ぎの実母の性根は、少しはましになっているかもしれませんが、娘さんの言葉から想像する限り、彼女の性根は直っていません。

 あの元奴隷主の顔を思い浮かべるだけで恐怖に陥り、実家に足が向かなくなった緋沙子さんですが、継母は少しは反省したでしょうか? それは緋沙子さんにはどうでもいいことです。目に見えない誠意や心に価値がなく、老いてもモノやカネや自分しか知らない人とは、どのようにかかわっても無駄だと緋沙子さんは学習し、金輪際かかわらないことに決めたからです。

 れいこ様、私は貴女の実母に、緋沙子さんの継母が重なります。恥を知らない人にとっては利用できたり搾り取れる間はいい関係で、しかもそれがその人たちにとっては有り難いことではなくて、(立派な自分に対する)当然の権利なのです。さらに不幸なことには、従っている人がいる間はつけあがっていく人種です。

 貴女の過去をしっかりと説明したあとでは、娘さんから問われない限り、実母に関しては貴女からは何も話さないようにしましょう。実母を思い出したり悔しがったりする時間だけでも貴女の負けです。これ以上振り回される値打ちのない人です。憎んだり復讐心で苦しむことから、ご自身を解放してあげなければなりません。実母のことが思い浮かんだら、すぐにほかのことを考える習慣を作りましょう。心の広い人や信仰を持っている人からは心が狭いと嗤われそうですが、何と言われようとこのような悪縁は絶つのがいちばんです。

 娘さんが貴女を理解できる日は、必ず来ると信じます。実母と交流しているという理由で娘さんと駆け引きせず、昔の分も挽回するつもりで一途に見守ってあげてください。条件がつかない無償の愛こそが、親の愛の神髄ですから。

注;パンプキンさんは、『世界中のエリートの働き方を1冊にまとめてみた』の著者であるムーギー・キム氏の母親。東洋経済オンライン


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この記事へのコメント
凄まじい身内もいるものです。8年前に児童相談所から うちに来てくれた高2の男の子は 一歳のとき施設に入れられ、10年後 実の親のもとに戻ったら親は自分の気に入ったような育ち方をしてないと言うて 数々の虐待をして数年後に ついに彼は親戚のかたに手伝ってもらって児童相談所へ逃げました。施設で虐待され、実の親へ戻ってまた暴力による支配を受けたのは どんなに辛かったろうと思います。うちには高校卒業まで居るはずだったのに4ヶ月ほどで 学校と問題を起こして 児相へ戻りました。今は高校のクラスメートとの連絡も途絶えて どうしているか不明です。こういう親もカナワンですが 児童養護施設の強権的運営も変わってない施設が多いです。里親・里子のブログも月に一回ほとカキコミしていますが 匿名・匿住所です。彼の居た施設は市立で、民間組織に運営委託されています。たびたび問題を起こし ついに去年は園長が職員にセクハラしましたが 施設名も個人名も全メディアに伏せさせました。そういう権力の使い方をして恥じない。暗闇の世界です。
Posted by 伝兵衛伝兵衛 at 2015年01月22日 15:38
この現在の日本にも、不幸な人たちがいっぱいいることを実感しています。たくさんの食料が賞味期限が過ぎて廃棄している一方、貧困のため餓死をしている人たちがいる。

老いた人たちをだましてお金を巻き上げる人、人間をぼろ屑のように消費するブラック企業、などなど。世の中には理不尽なことがいっぱいありますね。

今の日本、伝兵衛さんのような弱い者の味方が少なくなってきているのかもしれないなぁ。
Posted by ecellecell at 2015年01月24日 21:52
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